『赤光』初版「屋上の石」② No.00014

2021-04-23

しら玉の憂のをんな恋ひたづね幾やま越えて来りけらしも  『赤光』初版「屋上の石」

 『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「屋上の石」八首中の第二首。

  「しら玉」は、古来、露や涙、大切に思う人に例えられてきた。「しら玉の憂のをんな」という字面からは「露」や「涙」という儚く悲しいイメージで捉えるのがよさそうである。噂に聞いていた女性のことなのか、それともかつて出会っていた女性のことなのか。「恋ひたづね」からは、会えない状態がそれなりに長く続いていたことが想像される。

  下の句は、茂吉『万葉秀歌 下巻』にある和歌なら「木の暗の繁き尾の上をほととぎす鳴きて越ゆなり今し来らしも 」(〔巻二十四三〇五〕 大伴家持)を思わせる。この和歌の作品主体は「ほととぎす」だが、下の句の「越ゆ」「来らしも」が茂吉の歌に通じる。

  ほととぎすほどの身軽さ、軽快さではないにしろ、茂吉が「幾やま越えて」来られるくらい楽しみにして「恋ひたづね」たことがわかる。

  家持の歌の結句「来らしも」は、「来るようだ」という推定の意味である。

  一方、茂吉の歌の「来りけらしも」は自分自身のことを言うから、推定の意味ではない。「…たのだなあ。…たなあ。」という過去の詠嘆であり、この意味での「けらし」の用法は近世の擬古文以降見られるという。

  一連の第一首は、「幾やま越えて」来た道すがらの山川の情景であろう。掲出歌、第三首第四首までは、女性のこと、逢瀬のことが詠まれている。「屋上の石」という題が関わってくるのは、その後の第五首以降である。

https://twitter.com/takahashi_ry5?s=09

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