『赤光』初版「屋上の石」⑤ No.00017

2021-04-23

屋上をくじやうの石はめたしみすずかる信濃のくにに我は来にけり 『赤光』初版「屋上の石」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「屋上の石」八首中の第五首。

  二句切れで、屋上は「屋根の上」の意味であろう(『デジタル大辞泉』小学館)。続く第六首から第八首まですべて「屋根」で始まる歌である。「屋根の上にある石は冷たい」という感慨を率直に詠んでいる。

  「屋上の石は」というように「は」にしてあることで、その冷たさは、句切れ以降にも影響するようになっている。

  「みすずかる」は「信濃しなの」にかかる枕詞。「すず」は篠竹すずたけの意。信濃が篠竹の産地であるところからこう表すようになった。『万葉集』に見える「水薦苅」〔九六〕、「三薦苅」〔九七〕を、羽倉信名は「万葉集童蒙抄」でミスズカルと訓んだ。この説は、賀茂真淵の誤字説(「水薦苅みこもかる 」を「水篶苅」の誤りとした)と相俟って、枕詞として「みすずかる」を定着させたが、現在では、この「薦」という字のままでコモと読む説が有力となっている(『デジタル大辞泉』小学館、『精選版 日本国語大辞典』)。

  その用例は、『万葉集』「久米禅師くめのぜんじの、石川郎女いしかはのいらつめよばひし時の歌五首」の冒頭二首〔二・九六、九七〕である(『万葉集(一)』岩波文庫、二〇一三、一二四、一二五ページ。)。

    みこも刈る信濃しなぬ真弓まゆみわが引かばうまひとさびていなと言はむかも 禅師

    みこも刈る信濃の真弓引かずしてはくるわざを知るといけなくに 郎女

  しかし、だからと言って「みすずかる」は間違いで、退けるべきだという必要はない。事実、そう読むとされ、そう解釈された時期があったということだからだ。

  長野県の菓子舗である「みすゞ飴本舗」のホームページには「『みすゞ』とはスズタケのこと。さわやかな大気と清冽な川の流れ、ゆたかな自然に抱かれた信濃の国を表しています。私たちは、その名に寄せて、ゆたかに育まれた自然の風味をそのままに、お届けする菓子作りの心を込めました。」とある。長野では、他にもこの言葉にあやかった事物があるようである。枕詞を超えて、信州の美称として定着しているのなら、言葉としての生き残り方の好例と言えよう。

  「屋上の石」の冷たさ、「みすずかる信濃のくに」という涼しげな美称。「屋上の石」という具体物の触覚(冷感)があることで、「来にけり」の詠嘆がより深みのあるものになっている。

  女性との逢瀬を詠んだ第二首第三首第四首とは打って変わって、叙景歌が来る。続く第六首以降も同様に叙景歌だが、この第五首からは作品主体の感じたすがすがしさが読み取れる。

https://twitter.com/takahashi_ry5?s=09

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