『赤光』初版「屋上の石」⑤ No.00017
屋上の石は冷めたしみすずかる信濃のくにに我は来にけり 『赤光』初版「屋上の石」
『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「屋上の石」八首中の第五首。
二句切れで、屋上は「屋根の上」の意味であろう(『デジタル大辞泉』小学館)。続く第六首から第八首まですべて「屋根」で始まる歌である。「屋根の上にある石は冷たい」という感慨を率直に詠んでいる。
「屋上の石は」というように「は」にしてあることで、その冷たさは、句切れ以降にも影響するようになっている。
「みすずかる」は「信濃」にかかる枕詞。「すず」は篠竹の意。信濃が篠竹の産地であるところからこう表すようになった。『万葉集』に見える「水薦苅」〔九六〕、「三薦苅」〔九七〕を、羽倉信名は「万葉集童蒙抄」でミスズカルと訓んだ。この説は、賀茂真淵の誤字説(「水薦苅 」を「水篶苅」の誤りとした)と相俟って、枕詞として「みすずかる」を定着させたが、現在では、この「薦」という字のままでコモと読む説が有力となっている(『デジタル大辞泉』小学館、『精選版 日本国語大辞典』)。
その用例は、『万葉集』「久米禅師の、石川郎女を娉ひし時の歌五首」の冒頭二首〔二・九六、九七〕である(『万葉集(一)』岩波文庫、二〇一三、一二四、一二五ページ。)。
みこも刈る信濃の真弓わが引かばうま人さびて否と言はむかも 禅師
みこも刈る信濃の真弓引かずして弦作るわざを知るといけなくに 郎女
しかし、だからと言って「みすずかる」は間違いで、退けるべきだという必要はない。事実、そう読むとされ、そう解釈された時期があったということだからだ。
長野県の菓子舗である「みすゞ飴本舗」のホームページには「『みすゞ』とはスズタケのこと。さわやかな大気と清冽な川の流れ、ゆたかな自然に抱かれた信濃の国を表しています。私たちは、その名に寄せて、ゆたかに育まれた自然の風味をそのままに、お届けする菓子作りの心を込めました。」とある。長野では、他にもこの言葉にあやかった事物があるようである。枕詞を超えて、信州の美称として定着しているのなら、言葉としての生き残り方の好例と言えよう。
「屋上の石」の冷たさ、「みすずかる信濃のくに」という涼しげな美称。「屋上の石」という具体物の触覚(冷感)があることで、「来にけり」の詠嘆がより深みのあるものになっている。
女性との逢瀬を詠んだ第二首、第三首、第四首とは打って変わって、叙景歌が来る。続く第六首以降も同様に叙景歌だが、この第五首からは作品主体の感じたすがすがしさが読み取れる。
https://twitter.com/takahashi_ry5?s=09

にほんブログ村
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません