『赤光』初版「七月二十三日」② No.00022

2021-05-17

夏休日なつやすみわれももらひて十日とをかまり汗をながしてなまけてゐたり  『赤光』初版「七月二十三日」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「七月二十三日」五首中の第二首。

  「夏休日」は、現在において一般的な表記ではない。なぜこのような表記をして「なつやすみ」と読ませたのだろうか。「小学校教則綱領(抄)(明治十四年五月四日文部省達第十二号)」の「第二章 学期、授業ノ日及時」には、以下のようにある。明治一四(一八八一)年、茂吉の生年の前年に出されたものである。

    第七条 小学校ニ於テハ日曜日、夏季冬季休業日及大祭日、祝日等ヲ除クノ外授業スヘキモノトス

ここからすれば「夏期休業日」が文部省としての名称ということである。具体的には、群馬県の小学校で明治一〇(一八七七)年に三〇日間と定め、大阪府の小学校で明治一一(一八七八)年に一五日間と定めた例があったという(渡辺貴裕「明治期における夏期休暇をめぐる言説の変遷」)。

  「夏休」は夏の季語であり、傍題に暑中休暇、夏期休暇がある(『俳句歳時記 第四版増補 夏』)。正岡子規(一八六七〜一九〇二)も明治二九年、数え三〇歳の時に「夏休」の句を詠んでいる。

    夏休みの人と見えけり白鹿摺しろがすり    子規

子規はその後も「夏休み」を詠んだ句を多く残している。それらは全て「夏休み」という表記なので、「夏休日」という表記は茂吉独特であることが想像される。

  「われももらひて」とあるが、「も」とは何を踏まえているのだろうか。児童たちがもらうべき夏休みであるが、ということわりなのだろうか。このころ、一九一〇年前後は、「夏期休暇中の子どもの生活管理方策についての言説が盛んに交わされるようになっていた。」という(「明治期における夏期休暇をめぐる言説の変遷」)。宿題や登校日を課したり、小学校が児童を管理するための方法・心得が「児童取扱法」という名で実施されたりしていたという。

十日とをかまり」の「まり」は接尾語で「-あまり」の変化した語。『続日本後紀』「承和一二」(八四五年)にも用例がある(『学研全訳古語辞典』)。

  児童が管理される一方で、「夏季休暇独自の積極的意義については,明治期を通して,議論が深められていくことはなかった」という(「明治期における夏期休暇をめぐる言説の変遷」)。それに対し、茂吉は「汗をながしてなまけてゐたり」という一見矛盾した状態なのである。「汗をながす」には、「汗をかく」「労働する」「入浴する」の意味がある(『精選版 日本国語大辞典』)。また、「なまける」には、「働かない」「元気がなくなる」「なまやさしくなる」という意味がある(『デジタル大辞泉』)。ここでの「なまけてゐたり」は休日のことであるから「働かない」「なすべきことをしない」ということだろう。それに単純接続で「汗をながして」というときは「汗をかく」という意味だろう。ただただ暑さが体にこたえて、作品主体は休日を何もせず過ごしたのだろう。

  次の第三首は、一連第一首同様、印象的な固有名詞によりイメージの広がりを持った歌である。第四首は、掲出歌の「夏休日なつやすみ」後のことを詠んでいる。

https://twitter.com/takahashi_ry5?s=09

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