『赤光』初版「麦奴」ⅩⅤ No.00040

よごれたる門札おきて急ぎたれ八尺やさか入りつ日ゆららに紅し    『赤光』初版「麦奴」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「麦奴」の十六首中十五首目。

「門札」は「もんさつ」とも「かどふだ」とも読めるが、いずれにしても音数は変わらない。意味もともに「住人の氏名などを書いて門にかかげておくふだ」である(『精選版 日本国語大辞典』)。「おく」には多くの意味合いがあるが、ここでは「物をある位置・場所にとどめる。そこに位置させる。」「ある場所に残す。残しとどめる。」「新たに設ける。設置する。」「預け入れる。差し出す。」といった意味があてはまりそうである(『デジタル大辞泉(小学館)』)。門札は精神科医である作品主体の名が記されたものであろうか。監獄に出てきたときにその札を仕事する部屋の前に掲げるのだろうか。それを監獄での仕事を終えると、部屋の前から外しておくのが通例か。しかし、急いでいたために、門札を外さずに残しておいてしまったのか。「急ぎたれ」は、「屋上の石」③の歌同様、已然形終止の余情を出す用法である。そのため、三句切れとなっている。

「八尺(やさか)」は、長いことを意味し、万葉集にも用例がある(『デジタル大辞泉(小学館)』)。「入りつ日」の「つ」を格助詞ととれば、所属・位置の「…の」という意味になり、連体修飾語を作る。この場合の「入り」は、「日の入り」のように体言と捉えることになる。一方、「つ」を助動詞と取れば、完了の「…た。…てしまう。…てしまった。」という意味になる。この場合の「入り」は、四段活用動詞「入る」の連用形である。しかし、そうであれば、「入りつる日」が文法的に正しいので、連体形の変則なのか。「ゆららに」は、ゆっくりゆれうごくさまを表わす語(『精選版 日本国語大辞典』)。長く、紅い日の光が揺れ動いているのだ。

「あか」に関わる歌は、「麦奴」の一連にこれまで三首あった。初めの二首(一首目五首目)は、「煉瓦」の「あか」が詠まれた。もう1首(九首目)は、「囚人」の「べにがら色」と、「入り日」の「赤」が詠まれた。この歌では、「入りつ日」の「あか」が詠まれている。一方で、一連には三首、寒色・暗色も詠まれている。四首目紫陽花あぢさゐの紫、十首目は「麦奴むぎのくろみ」の「くろ」、十三首目は「囚人のむれ」の「紺」である。あか(赤、べにがら、紅)が一連の初めと終盤にあり、途中途中に暗色(紫、くろ、紺)が見られる。しかし、この一連での「あか」はイメージとしては暗さや不気味さを帯びたものであろう。「殺人未遂被告某の精神状態鑑定」という暗さの通底した一連を色彩も裏打ちしている。

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