『赤光』初版「麦奴」ⅩⅥ No.00041

黴毒のひそみ流るる血液を彼の男より採りて持ちたり    『赤光』初版「麦奴」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「麦奴」の十六首中十六首目。この歌の後に「(七月作)」と記載されている。

黴毒(梅毒)とは、病原菌トレポネマ‐パリズムの感染による慢性全身性疾患のこと。菌は性行為時に小さな傷より侵入する。三か月ほどたつと全身に菌がひろがり、全身の皮膚に紅斑や膿疱が出たり消えたりする(『精選版 日本国語大辞典』)。しかし、茂吉は「童馬小筆」の「ニーチエの病」という文章で「病の証状の生物學的因子(黴毒)」、「外的に働き掛けた、生物學的因子 (biologischer Faktor)」といった表現をし、ニーチェの病(麻痺性癡呆、精神障礙)がその思想に与えた影響について考察している(『斎藤茂吉全集 第六巻』岩波書店、一九七四年、五〇四、五〇五ページ)。そのため、茂吉は、掲出歌でも「黴毒」を梅毒の意味ではなく、病の「生物学的因子」として使用しているのだろう。ただ単に「流るる」ではなく「ひそみ流るる」としたところにその「黴毒」の怪しげで不可思議な印象を添えている。

主体は、男から「黴毒のひそみ流るる血液」を採った。直感的に「黴毒」の存在を予期したのか、後の分析により「黴毒」の存在がわかったのか。いずれ採って持っている段階では、男の血液でしかない。強いて言えば、「殺人未遂被告某」の血液である。「黴毒」と「殺人未遂」に因果関係があるかはわからないが、主体はその血液でもって精神状態鑑定の材料とするのである。

「麦奴」十六首のうち、囚人に触れているのは、五首目六首目七首目八首目九首目十一首目十二首目十三首目と掲出歌の計九首である。しかし、掲出歌以外は囚人の姿やその瞳を扱っている。主体としても、ここで初めて監獄を離れ、血液という検体を病院などに持ち出すことになる。

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