『赤光』初版「みなづき嵐」Ⅴ No.00047

狂院の煉瓦のかどを見ゐしかばみなづきの嵐ふきゆきにけり    『赤光』初版「みなづき嵐」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「みなづき嵐」の十四首中五首目。

狂院という語は、茂吉が他の歌でも使用しているが、用例として岡本かの子の短歌と随筆にも見られる。精神科病院の呼称としては癲狂院てんきょういんというのが明治時代前半の主流であったが、類語に狂疾院きょうしついんというのもあった。しかし、脳病院を称するものが増加してきて、癲狂院の呼称は大正時代には消滅したという。この呼称が短歌では「狂院」と略されたのであろう。ちなみに、茂吉が勤めた東京府巣鴨病院は、もとは東京府癲狂院という名称だったが、一八八九年に患者がその名を嫌って入院を拒否するからとの理由で、改称されたという。精神科病院は、煉瓦で出来ており、主体はその角を見ていた。

そうしたところ、その角を水無月(旧暦六月)の嵐が吹き過ぎて行った。

二首目四首目とともに標題「みなづき嵐」を詠み込んだ歌。十四首中この三首のみ標題を詠み込んでいる。