斎藤茂吉『赤光』「巻末に」を読んで No.00001

2021-04-17

巻末に

明治三十八年より大正二年に至る足かけ九年間の作八百三十三首(筆者注:実際は八三四首)を以て此一巻を編んだ。偶然にも伊藤左千夫先生から初めて教をうけた頃より先生に死なれた時までの作にな つてゐる。 〔……〕特に近ごろの予の作が先生からめられるやうな事はほとんど無かつたゆゑに、大正二年二月以降の作は雑誌に発表せずに此歌集に収めてから是非先生の批評をあふがうと思つて居た。ところが七月さんじふ日、この歌集の編輯がやうやく大正二年度が終つたばかりの頃に、 突如として先生に死なれて仕舞つた。〔……〕それでもどうにか歌集は出来上がつた。悲しくも予は此一巻を先生の霊前にささげねばならぬ。

茂吉は『赤光』出版時満31歳。筆者は現在その歳である。茂吉の作歌態度・考え方・捉え方を同じ‘若さ’で追体験しつつ分析していきたい。

初版で茂吉はおおよそ逆年順で歌を配置している。その理由の一つが師・伊藤左千夫の挽歌「悲報来」を歌集の始めに据えたかったということなのだろう。


このあとがきは「大正二年九月二十四日よる」に書いたという。七月三十日に伊藤左千夫が亡くなったのだから、忌明けのころだ。