『赤光』初版「悲報来」⑧ No.00009
罌粟はたの向うに湖の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも 『赤光』「悲報来」
『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「悲報来」十首中の第八首。
島木赤彦宅から「罌粟はた」つまりケシ畑が見える。ケシの花は白・紅・紫などがあるが、「朝目ざめると罌粟畑には一めんに花が咲いてい」たという(『作歌四十年』)。その向こうには、諏訪湖が光って見える。
信州下諏訪の高木にある赤彦宅。深夜十二時を過ぎて赤彦宅に着いて、床に着いた作品主体。師・伊藤左千夫の悲報を聞いた衝撃のあった夜であったが、何時に起きただろうか。夏であるから日の出は早いが、湖が光って見えるぐらいには、日が上っていた。
「信濃のくに」と古風で大仰な表現にしているのは、諏訪湖半ののどかな田舎的風景を見て、近代社会とはかけ離れたものを感じたからかもしれない。
「けるか(も)」(過去・詠嘆の助動詞「けり」の連用形+助詞「か(も)」)は万葉集で五十例あるようだが、ほとんどが詠嘆の意味であり、疑問の意味のものは一例のみだという(近藤要司「文末カモの詠嘆用法について」平成一六)。掲出歌でも詠嘆の意味で「目覚めたよ」という意味である。
ケシは夏に未熟な果実を作る。そこから取れる白い液がアヘンの原料である。これは当時の清と中華民国のアヘン消費との関係があるようである。一方、ケシ殻は、甘草・車前子とともに煎じて咳止めに用いられていたらしい。戦前の日本の田舎の風景である。現在、日本にケシ農家は存在しない。
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