『赤光』初版「屋上の石」③ No.00015

2021-04-23

鳳仙花城あとに散り散りたまる夕かたまけて忍び逢ひたれ  『赤光』初版「屋上の石」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「屋上の石」八首中の第三首。

  鳳仙花は、関東地方では七月中旬~十月中旬が開花時期。赤、白、紫絞りなどの花を咲かせる。「城あと」は天守閣などが残っていない場所である。

  花が散るという表現は斎藤茂吉『万葉秀歌』(上下巻ともに)で掲出された歌の中では四例ある。「妹(いも)が見しあふちの花は散りぬべしが泣く涙いまだなくに 」(〔巻五・七九八〕山上憶良)のように、描写としては「散る」にとどまる。ここでは「く歳月のはやきを歎じ」(斎藤茂吉『万葉秀歌  上巻』)たのである。

  一方、茂吉の掲出歌では「散り散りたまる」と、散りに散って土にたまるというところまで表現していることが新しい。「花が散る」という現象の結果まで丁寧に写生している。

「かたまく」は、「(その時節を)待ち受ける。(その時節に)なる。」という意味で、時を表す語とともに用いる上代語である(『学研全訳古語辞典』)。

  上の句を「夕」の修飾句と捉えれば、花びらが土にたまる夕時を待ち受けたという意味になる。

  三句切れの歌と捉えれば、城あとの景と「忍び逢」う場面とは、切り離される。時の移ろひの速さの象徴としての鳳仙花となる。

  「忍び逢ひたれ」が已然形であるのは、「『万葉集』には「こそ」の係りのない已然形終止の用例があるが全くの別物」(『週刊俳句 Haiku Weekly』大野秋田「文法外の文法と俳句の文語(前編)」、二〇一二年、https://weekly-haiku.blogspot.com/2012/09/blog-post_5559.html?m=1)だと言う。「余情的効果」「強調する効果」として中世以降用いられて来たという(同上)。

  一連の第二首から第四首までは、女性のこと、逢瀬のことが詠まれている。「屋上の石」という題が関わってくるのは、その後の第五首以降である。

https://twitter.com/takahashi_ry5?s=09

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