『赤光』初版「悲報来」⑦ No.00008

赤彦と赤彦が妻吾(あ)に寝よと蚤とり粉を呉れにけらずや 『赤光』「悲報来」

『赤光』初版「大正二年(七月迄)」「悲報来」十首中の第七首。

   島木赤彦宅での一場面。作品主体は主人の赤彦に師・伊藤左千夫の悲報を伝えた。そのやりとりは歌とせず、「寝よ」という赤彦と夫人の言葉を歌にした。

   夫人が突然の来訪者の寝床にと蚤とり粉をくれた。「呉れにけらずや」は「くれたではないか」。「けらずや」が「〜たではないか」という意味の連語。完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」について、過ぎ去ったことを回想するときに使う上代(奈良時代、万葉集の時代)特有の語法。

   「蚤とり粉」とは、ピレトリンという成分の含まれる除虫菊粉であろう。明治中頃に日本での栽培が広まった除虫菊。大正期に除虫菊粉の使用が広まった。後に除虫菊は蚊取り線香の原料になっている。蚤とり粉をくれるというのは、現代で言えば、寝床に蚊取り線香を準備するというもてなしと同じだ。

   前回触れた第六首では「眠り薬」、次回触れる第八首では「罌粟(けし)」が登場し、三首連続で近代化学・薬学に関わる語がある。また、第二、三首の「蛍を殺す」に続き、「蚤とり粉」でノミを殺すことになる。意図されたものではないかもしれないが、生活に息づく化学と、身近にある(虫の)死が「悲報来」の一連には詠み込まれている。